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日記とか好きなものとか。 オタク趣味全開です。女性向同人要素もバリ発言します。 嫌悪感を抱くという方はどうぞお読みにならないで下さい。
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トラックバックって何なのかな…いまだにブログの仕組みが理解できていません。(汗)もうブログになって結構経つのにね…OTZ そして今回長い。


「当事者だけではなくそれ以外の意見もどこか頭の隅入れておいた方がよい。」
先日の東京一人旅後、なんだかその気になっていたけれど、ネットとかでいろいろな意見を見るとすごく、頭が、痛いなぁ…!いやね、2ちゃんねるを覗いたのが少々アレだったのかもしれないが、あそこって一見悪口とか信憑性の無いようなことばっかり書き込まれているように思うけど、中にはまともな意見があったりしてね、若干軽視していた部分があったからこそ、驚いて、ちょっと見直した。軽視していた私の見方こそ一様で、多様性のない狭い見方だったんだと思う。でもね、だからといってアレを全部は鵜呑みに出来ないわけで。信憑性の問題は現状どうやってもクリア出来ない。普通じゃ聞けないような話も聞くことが出来て、参考には出来るけど、「元当事者」と本人が言えども本当に当事者だったかは確認しようがないわけ。まぁ、おおよそ当事者でなければわからないだろうというような発言もあったけど、風評じゃないのか?という発言も同じぐらいかそれ以上はあるわけで…。
実に難しい、どこからどこまでを信用していいものか。私、今の大学に進学してから大分世の中に対して疑り深くなったな。私が取っている講義の系統に因ってる部分が大きいとは思うけど。大学入学以前だったら、テレビで放送されたこととか、ネットで表示されたこととか、説明会で聞いた話とか、そういったものは真実だと簡単に信じていたように思う。「あるある」の件やら「ミートホープ」の件やらで、今の世の中自体がメディアとか会社とかの発言・発表に対して疑ってかかるようになってきてしまったけど、それでも視聴取者であり消費者である我々はそれを信じるしかないという部分もあり、信じられないけど信じるしかない、みたいなジレンマに陥ってる状態にいるのかも。ニュース報道なんかさ、私たちが事の真相を知る手だてが報道機関からの情報しかない分、彼らが報道したものを「真相」と思うしかないわけだし、どこかで歪められても真実を知らなければその歪みすらわからないのだから「真実」になってしまうよね?


情報が限界範囲を超えてしまっているのかな?とも感じる。10年前と比べたら莫大に私たち一人一人に入ってくる情報は量を増したし、情報は私たちが何をせずとも向こうからどんどんばしばし送られて来るじゃないですか。東京に行ったって言いましたけど、すごいじゃない、東京って。人も車も、電車の本数も半端無い。広告の数も半端無い。私からしたら「今日は年に一度のお祭りですか?」ってぐらい、平日の昼間から人が溢れている。年に1度の市を挙げてのお祭りだって、あんなに人がいたこと無いですよ。人とか物とかがたくさんあるって事はそれだけ情報が溢れているってことなんですよね。人間の情報処理能力がいくら優れていると言えどもそこには限界があり、処理しきれないような状況を過剰負荷環境、と心理学では呼ぶそうです。この状態で人は素っ気なく、冷たい態度を取るようになるそうです。あまり人と関わり合いを持とうとしなくなるとか。都会の人ってなんだか冷たいな、と地元から上がってそう感じるのは、都会の人が氾濫する情報から身を守ろうとしてるからなんですって。情報は役に立つけど、時に私たちを振り回します。インターネットなんて過剰負荷環境そのものだから、必要な情報だけを得るために検索サイトを利用するんですよね。一見するといろんな情報やそれ付随する意見なんかもあって多様性が見られるけれど、内々だけでまとまってしまっているような気もしなくはない。自分にとってさほど重要でないと思う情報に対しては検索すらしない。必要でない情報まで自分の中に入れていたら際限が無くなってしまうからね。
それと絡めて感じるのが、最近はリスキーなことをなるべく避けるようになったな、ということ。リスク回避の方法は今の世の中調べればいくらだって出てくるんですよね。だってみんなが情報を発信することが出来る世の中だから、いろんな人の発言を拾っていけば、これはいいとか、あれは駄目だとか、必要な情報は環境さえ整えば、それこそケータイが一台あればその場で手に入る。だけどそういった情報に凝り固まって、何もしない前から「これは駄目だ」と決めつけることの方がもっと駄目なんだろうな。結局のところ行動するのは自分なんだから人が何をどう言おうと、自分で決めるしかないんだよね。得た情報はあくまで情報であり、自分が行動選択するための参考資料でしかないわけだからさ。本当にソースに信用性がなければ「一応どうやらそうらしい」としか言えないんじゃないのかな。ニュースだって、報道機関の取材によると「どうやらそうらしい」だし、ネットだって、発言者が言うには「どうやらそうらしい」になってしまう。だから、「この人がこれについてこう言っているけど、この人にとってはそういうものらしい。私もそうかな、と思うけど実際はどうなのかわからない」ってことだと私は思います。そこに飛び込んでみなきゃどう転んでいくかわからないものなのに、飛び込む前から「どうやらそうらしい」を「そうだ」と思いこんじゃうから、何も出来なくなってしまうのかな。情報がたくさんある現代だからこそ、自分に必要な情報だけを取捨選択して、反ってそれで見えなくなる部分が出てきてるんじゃないのかとも思う。情報価値化社会ともいうべきか、価値がない情報は情報として捉えないと言いますか。自分の得た情報だけが全てではない、ということどこかに留めておくべきなのかもしれないですね。情報収集はもちろん必要なことですよ。判断材料が多いに越したことはないし、何がどう役立つかは案外わからないものだしね。事実、何とはなしに聞いたことが重要な局面で役立ったこともありましたし。


情報に頼りすぎず、よき杖として利用し、最終的には自分で悔いを残さない判断を!ということなんですかね。私がここで何を言っても、読まれる方にとって「一応どうやらそうらしい」を抜けることは難しいのかもしれませんが…それでも何かのお役に立てたらいいな、と思うのでした。
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